考える事が多い
明日買わなければならない勉強道具、起きなければいけない時間、バイトのシフト練り、ゲームの攻略情報の入手、提出書類の修正申請。友人とのSNSでの会話の続き。最近は考えなければならない事が多い。細々としたことを常に気にかけるようなライフスタイルは私には合わない気がする。
大学合格から一年。気が付けば春休みも終わりに近づいていて、あっという間に新しい学年が始まる。この一年で色々な体験をしたが、中でも印象的なのは「バイト」だ。
私はTwitterで「労働は勉学よりも何倍も楽です」との呟きを幾度となく見かけたことがあり、てっきり労働というものは脳死で作業をこなすだけの簡単な事なのだと考えていた。小学校のような、適当に作業をこなせば誰にも迷惑が掛からない空間。そうではなかった。甘かった。
バイトでは複雑な手順の作業を覚えなければいけないし、接客スマイルも必要だ。レジ打ちでは金銭の取引という事で慎重さが求められるし、職場での人間関係もある。そもそも職場までの通勤が大変だ。正直かなりめんどくさい。
この「めんどくさい」という感覚は、小学生の時に水泳の習い事をしていた時の「めんどくさい」に似ている。めんどくさいのなら辞めてしまえばいいのだが、色々あって辞める事が出来ない。そういう感覚。自分で自分にストレスを与えている。そういう感じ。
しかしバイトは強制的にめちゃくちゃ泳がされる水泳と異なり、あからさまに手を抜くことが出来る。手を抜けば作業を楽にこなすことが出来る。
この手の「バイトどれだけ力を入れるのか問題」は定期的に話題に上がるようで、インターネット上にも結構書き込みがある。
”バイトを一生懸命やるのはバカ派”から、"バイトすら頑張れないような奴は何してもダメ派"まで色々あるが、「バイトの範囲の仕事だけしろ」(社員の仕事はするな)という意見は大体同じだった。
真面目に考えすぎず、適度に手を抜いて社会に適応していきたいね。
2020年4月に入学して、もうすぐ1年が経つ。今は長い春休み中だ。この1年間コロナで少々行動が制限されていたとは言え、それなりに色々な事があった。せっかくなので最近の事を記録しておこうと思う。
私の出身高校はバイト禁止だったので、大学1年生で初めてバイトを経験した。初バイトは近所の焼き肉屋のキッチンを選んだ。時給が良い(恐らく1080円くらい)という実にシンプルな理由だったのだが、これが明確な失敗だった。
キッチンにとって一番大切なものは作業スピードであり、料理の丁寧さは二の次だ。つまり雑に速く作る事が要求される。自分は生真面目でトロい為、全く仕事が出来なかった。加えてキッチンでは他人との連携も要求される。これもキツかった。自分の作業が遅いせいで相手に迷惑をかけてしまう。
そんなこんなで色々あって、これは自分でも驚いたのだが、なんとバイトを2日で辞めた。直接、店長に「わざわざ雇ってもらったのに申し訳ない」と伝えると、「バイトを2日で辞めるやつはバックれが基本だよ。君は真面目だね」との返事を頂いた。なるほど。そういうものなのか。私は1つ賢くなった。
こうして飲食店のバイトを辞めて苦痛の種から解放された私だったが、その一方で別の悩みも生まれた。つまり「バイトとは、どれも焼き肉屋のようにキツいものなのだろうか」という疑問である。もしそうであるなら今後、バイトとして、いや社会人として働き続けられる自信がない。そんな考えもあり、次に選んだのは時給が950円くらいの古本屋のバイトだった。
事前に従業員のスピード感などをチェックしに店に訪れていたので、ある程度楽なんじゃないかという期待はあった。大当たりだった。基本的に土日以外は来客がそこまで多くない為、レジ打ちにしても本の収納作業にしても楽だった。加えて、自分以外のバイトに同年代の学生が多く、話も合う為すぐに仲良くなることが出来た。
これらの事から、労働環境は場所によって大きく変化する事を学んだ。時給が100円程度安いだけでこんなにも違うとは驚きだ。私はまた1つ賢くなった。
前々から興味があったので、何となくはじめた。始めて1日目で「これはヤバい」そう感じた。せっせとバイトして集めた金があんなにも簡単にガチャガチャと動いてゆく。私はすぐに株の魅力に取りつかれた。結局2月の始めに25万円から始めて3月には53万円まで金を増やすことが出来た(のちに35万まで減らしてしまうんですが...)。
色々書こうと思ったが、今回はこの辺で。
自宅浪人で得たものの中に「読書習慣」があった。実際は、勉強から逃避していただけなのだけれど。真面目に本を読むのは割と楽しかった。そんな感じで色々買い漁っていたら、部屋の中が本だらけになった。紙の本は維持コストが大きい。なので色々考えて、紙の本の電子化と学習環境の電子化を進めることにした。
ということで、上の3つを買った。裁断機で本をバラバラにし、スキャナーで読み取り、AdobeのAcrobatでOCR(画像の文字認識)を掛けPDFに変換し、iPadで読むという流れが出来た。こうすることにより、教科書をiPadにぶち込むことで、どこでも勉強することが可能、書き込み放題、単語カードなどの作成効率が30倍くらいになった。便利。
で、色々捗っているのだが、一番素晴らしいのは「本を読む・勉強することの敷居がめちゃくちゃ低くなったこと」だと思う。正直、読書や学習は始めるまでが一番つらい。本を取り出して、机に座って...という流れがもう面倒だったのだが、それが、iPad一つ開くだけで済むことによって、学習自体の頻度が増えた。しかもどこでも出来るのが最高。布団の中でも勉強できるのは良い。
夏休みが始まる。大学に入って4か月くらい経過した。そろそろ本格的に動き始めても良い気がする(何が?)。ということで夏休みはUnityの勉強でもしたい。UnityUnityどこでもUnityの話題ばかりだ(本当か?)。頑張ろう。
2019年11月に発売されたヴァニラウェアの新作ゲーム、「十三機兵防衛圏」をプレイした。最高だった。
美しいと感じた。
プレイヤーは驚くほど多くの属性が盛り込まれた物語の断片を読み進みながら、大きな真実へと近づいていく。緻密に計算されたストーリー、ヴァニラウェア特有の美しいグラフィック、爽快感がたまらないSLGパートどれもが素晴らしく、私にとって最も印象的なゲームの1つになった。
ここで「十三機兵防衛圏」の面白さについてダラダラ語りたい所だが、私にはこの作品の面白さを言語化して上手くまとめる自信が無いので、それは別の人に任せる事にする。(または別の機会に書く。)
私はヴァニラウェアのゲームが好きだ。「朧村正」も「オーディンスフィア」も他の作品も、どれも印象的だった。
ところで、これを読んでいるあなたは初めてゲームで遊んだときの、あのワクワク感を覚えているだろうか?全身の毛が逆立ち、頭を強打されたような感覚。画面の中が世界の何よりも輝いて見えるような衝撃。このような感動は時と共に忘れていく人が多いのではないだろうか。
しかし、私はそのような感覚を今でも感じることがある。ヴァニラウェアのゲームで遊んでいるときだ。芸術作品とも呼べるような美しい世界の中で、物語の主人公として冒険している瞬間に私は、確かにあの頃の感覚を取り戻していた。私にとってヴァニラウェアのゲームとは、そんな“魔力”を秘めたモノであるのだ。
今の時代、洪水のように襲いかかってくる多量のコンテンツは私達を容赦なく飲み込んでいく。無限にも思えるような情報の海の中で、さも当然のように作品を消費していく私の中には、そんな生活によって、忘れられてしまった感情が確かに存在する。しかし、「十三機兵防衛圏」を始めとしたヴァニラウェアのゲームは、そうした感情を呼び覚ましてくれる。その事実は変わらない。
このような時代であるからこそ、心から感動出来るゲームが存在しているということ、そんな素晴らしい作品を作ってくれる人達がいること、このような作品に出会えたことに感謝し、今後もゲームとの出会い、関係性を大切にしていこう。
もうすぐ20歳だ。受験は結果的に失敗するだろう。
浪人という選択をした事を後悔はしていない。
しかし中学高校と「良い大学に入る」事を目標に勉強してきた自分には、受験勉強の時間以外に積み上げてきたモノが何も無い。